V molitvah ne usypajuschuju Bogoroditsu

ラフマニノフ 寝ずに祈れる神の御母


(Progam noteより)

 同時代の知識人大多数同様、セルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)は帝政ロシアの精神的支柱だったロシア正教会に距離を置いていた。しかし祈りの場に漂う美の世界 -鐘や聖歌の響き、僧衣やイコン・フレスコ画の輝き、ろうそくの光と香の匂いー は幼い頃から強烈な印象として記憶に残り、彼は生涯様々な形でその音楽化を試みた。

 『寝ずに祈れる神の御母』はラフマニノフの最初の宗教曲で、若干20歳にしてピアニスト、作曲家としてロシアで名声を確立し始めた頃の作品である。17世紀中頃ロシア聖歌にコンチェルトと称する多声合唱曲が登場、当時浸透しつつあった西欧音楽の語法、形式を模倣し原則として旋法と無関係に作曲された。聖歌隊の技量を発揮すべく技巧的な旋律が聖体拝領や散会時に歌われ、ボルトニャンスキー(1751-1825)以降、イタリア、ドイツの影響著しい合唱コンチェルトへ発展した。3部形式のこの作品はイタリア派の典型である。テキストは聖母被昇天の祝日の朝課でうたう賛歌からとられた。初演は1893年12月12日、モスクワ宗務院聖歌隊による。初演作曲者自ら「かなりよい出来だが宗教的ではない」と語り、正教会側の同様の批判に異議を唱えなかったという。